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コラムvol.83【怒り】

『燃え盛る松明を手にして』

あるとき、お釈迦様の弟子の一人が怒りにとらわれて苦しんでいました。
彼は他人の言葉に傷つき、心の中に怒りの炎を抱え続けていたのです。

その様子を見たお釈迦さまは、こう尋ねました。

「お前は、燃えている松明(たいまつ)を手にして歩き回る者を見たことがあるか?」

弟子は驚いて答えました。
「はい、ありますが、それでは自分の手が焼けてしまいます。」

お釈迦さまは穏やかに言いました。

「まさにそのとおり。怒りとは、自分が燃える松明を握っているようなもの。最初に焼けるのは、相手ではなく自分の心なのだ。」

私たちは人生の中で、理不尽なこと、納得できないこと、思いどおりにいかないことに何度も出会います。そのたびに怒りが湧き上がることもあるでしょう。

けれども、仏教では「瞋恚(しんに)=怒り」は三毒(貪・瞋・痴)の一つであり、心を濁らせる根本の原因とされています。

怒りは、外からやってくるものではありません。
怒りは、**「自分の内側で生まれる反応」**です。
そして、その反応は、気づきと智慧によって変えることができるのです。

仏教には、「怒りの火には水を注げ」という教えがあります。
水とは何でしょうか。それは「気づき」と「慈しみ」です。

誰かに対して怒りを感じたら、まず自分の心を静かに観てください。
「私は、いま何に反応しているのか」
「本当はどうしてほしかったのか」
「この怒りの奥にあるのは悲しみではないか」

そう気づくことで、怒りは少しずつ和らいでいきます。
やがて手にしていた松明を、そっと地面に置けるときが来るのではないでしょうか。
怒りの火は、心の静寂を焼き尽くします。
しかし、その火に水を注ぐ力は、私たちの中に必ずあります。

今日一日、どうか心の松明に気づき、そっと手をゆるめてみてください。