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コラム:Vol.72【良寛さん】

先日後継者についてご相談を承り、新潟県へ行きました。

新潟といえば良寛さん生誕の地、史跡を見ることができました。

良寛さんってどんな人?

「良寛(りょうかん)」という名前は一般の方でも聞いたことがある方も多いかもしれません。江戸時代後期の僧侶であり、書家・詩人としても知られる人物です。でも、彼の魅力はただの「お坊さん」や「文化人」にとどまりませんでした。

良寛さんは、形式ばった仏教の世界を離れ、越後(現在の新潟県)で庶民とともに生き、笑い、遊び、詩を書きました。特に子どもたちと一緒に遊ぶ姿が語り継がれており、「童心の人」として今も愛されています。

お寺に仕えない自由な生き方

良寛はもともと、真言宗の寺に生まれましたが、若くして出家し、のちに曹洞宗の修行に身を投じます。しかし彼は、どこか「偉くなること」や「権威」に違和感を覚えていたようです。

最終的に、出世や肩書きから離れ、山里の庵で一人静かに暮らす道を選びました。お金や物に執着せず、人から施しを受けながらも、自らの心にまっすぐに生きました。

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。」
― 良寛

この言葉にあるように、良寛さんは「あるがまま」を受け入れる、芯の強さを持っていたのです。

子どもと遊び、詩を書く日々

良寛さんの暮らしぶりで印象的なのは、何よりも「子どもたちと遊んでいたこと」です。

彼は筆を持ち、詩を書き、遊んでは笑う…そんな毎日を送りました。その様子は今も多くの人の心を打ちます。

「手まりつきつつ この子らと 遊ぶにもう年は忘れぬ」
― 良寛

この一首には、無心に生きる楽しさ、年齢を超えた童心があふれています。良寛の詩は、難しい言葉は少なく、どこかあたたかく、私たちの心を静かに包みます。

なぜ今、良寛が必要なのか?

忙しく、比較や効率が求められる現代において、良寛さんのような「何も求めず、ただそこにいる」という在り方は、ある意味とても贅沢で、そして貴重です。

SNSに翻弄され、自分を大きく見せようとして疲れてしまう人が多い今こそ、良寛さんのような生き方に癒やされ、学ぶことがあるのではないでしょうか。

良寛さんは、大きなことを成し遂げたわけではありません。でも、その小さな一歩一歩が、200年たった今も私たちの心にしみ込んでいます。

「ただ人とともに、やさしく、正直に生きる」
そんなシンプルな生き方が、実は一番むずかしく、そして一番尊いのかもしれません。

僧侶とは生き方であり、様々な姿があります。

サンガではどんなお坊さんに成りたいのか、しっかりとお話を受け止め、ご寺院や僧侶さんをご紹介しております。